主夫になった時、息子は2歳で、保育園に行っていた。
保育園が終わると、自転車で市内の公園や駅、児童館など、息子が喜びそうなところを連れまわした。
そんなことを始めて半年ぐらいだったかな。
どうも息子が言う色がおかしいことに気がついた。
たしか、花の色だった。
妻に何度か伝えると、コンピューターで何かを調べて僕に伝えてきた。
妻の父、つまり息子の祖父が色弱で、それが遺伝すると分かった。と。
すぐには事態が呑み込めなかったけど、すごく嫌な気持ちにだった。
それからというもの、何か胸に刺さった感じ。
色弱の人が風景をどんな色でみているか調べては心が痛み。
色弱の人がどんな仕事に就けないか調べては落胆した。
息子の瞳を見ると涙が何度も出た。
幼稚園に入って年長の時かな。
思い切って伝えることにした。
「ママは、遠くが良く見えないからメガネかけてるでしょ。〇〇〇くんは、色が得意じゃないないんだよ。」
その時は何のことがわかってなかった。
幼稚園から帰ってきて、友達にクレヨンの色を教えてもらって描いた!と嬉しそうに話すこともあった。
でも、僕の母と紅葉狩りに出かけた時、母が「なんて綺麗なんでしょう!」と言うのを聞いて、息子は項垂れて車から出てこないことがあった。
息子には、鮮やかな紅葉でなく、暗いどんよりとした色にしか見えない。
誰のせいでもないのは分ってるけど、妻や義理父を恨んだ。
息子が色弱と分っても、義理父から何の言葉もなく腹も立ったし、
そもそも結婚の挨拶の時にそのことを言うべきじゃないのか!と心で叫んだ。
だから息子が結婚相手を連れてきたら、必ず色弱の事を説明しようと、心に誓った。
僕がそうして悩んでいるのを見て、妻が
「悩んでもどうしようもない。それより息子ならどんな困難も乗り越えてくれるって信じることだよ」
と言ってきた。
今までも何度も聞いたセリフだったけど、その時に何故かすーっと心に入っていった。
「息子ならどんな困難も乗り越えれる」
「色弱だって乗り越えられる」
それから、色弱の事はほとんど気にならなくなった。
あれから6年
珍しく嫁さんが、僕としか共有できない嬉しいことがあった。と弾んだ声で電話してきた。
色弱矯正メガネがあるって!
息子が生きてる間に色弱が治すことができたら、贅沢言えば僕が生きてる間に、、、なんて思ってたから僕も心が弾んだ。
先に妻と義理父が買ってきて、息子に試させた。
その時の動画があるんだけど、、、、
息子は下の動画ほど驚いていなかったけど、あ!っという感じだった!
その驚き方は今でも忘れられない。
嬉しくて何度もその動画を見て涙がでた。
義理父の家に遊びに行ったときの事。
息子が、義理母に「おばあちゃんはどうみえるの?」と尋ねた。
「私は普通にみえるよ」
じゃあ、おばあちゃんはマジョリティ(多数派)なんだね。と息子がつぶやいた。
つまり、正常色覚は多数派で、色弱は少数派だよね。言いたかったのだろう。
それを聞いて胸に熱いものが走った!
もしあの時、息子にこんな障害があって、かわいそうという気持ちを持ち続けていたら、きっと自分は欠陥があると思ってたに違いない。
あの時、息子なら乗り越えれる。と信じたからこそ、色弱は障害ではなく、少数派という認識でとらえることができた。
妻が言ったことは正解だった。
息子に、色弱である事の劣等感は全くない。
これからも色弱に限らず、いろいろな困難に出会うだろう。
でも息子ならきっと乗り越えられると信じる。
*色弱は、男性で20人に1人、日本には300万人もいるそうだ。