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田中 直澄(Nao Tanaka) 通称「なおさん」

8年前に主夫になることを決意して、サラリーマンを退社。保守的だった僕が会社を辞めたのは、妻が育児が嫌で仕事がしたいと提案したからではなく、今考えれば仕事から逃げたかったからだと、今振り返って思う。

最初の1年は会社に行っていた習慣が取れなくて、毎日そわそわ何か落ち着かない気持ちだった。それでも、数字に追われる営業に比べたら気楽そのものだった。息子との子育てはとても楽しく、保育園が終わると毎日市内中の公園を回ったものだった。

義理父が「毎日夫婦が顔を合わせていると不仲になるよ」という心配も二人で首をかしげる感じだったが、次第に言い争いが多くなっていった。

元々好奇心旺盛な妻は、今考えれば家族という枠に入る人ではなかった。次第に仕事と言い東京へ出かけることが多くなり、また僕も知らぬ間に妻に「常識としての妻や母としての責務」を押し付けていた。それが不仲に拍車をかけていった。ある出来事で妻を激しく叱責した後、妻がコーチンングを受けることになり、次第に僕への対応が変わっていった。

仕事がしやすいという理由で、妻は週末だけ自宅に帰ってくる単身赴任になったが、自宅に帰ってきてもソファーに転がっていることが多く、週末だけ作ってくれた食事もおかずが少なくなっていった。最初は、金曜日から月曜日の3泊4日で自宅に帰っていたが、次第に減って月に2~3回1泊だけ帰るようになった。

一昨年、妻から離婚を切り出され、ショックのあまり不眠症に。毎日暗闇の中にいるような感じだった。そんな時、居ても立っても居られなくなり、たまたま近くにいた友達に相談したのが、僕の最初のコーチだった。彼女のセッションを受けると、暗闇から太陽が昇るようで気持ちは楽になった。ただそれは2、3日しか続かず、すぐに暗闇に戻ってしまう。そんな時期を半年以上も過ごし、彼女の勧めでNLPという、わかりやすく言うと心理学のスクールに通う事になった。

そこで、「他人の気持ちは変えれないこと」「相手は自分の鏡」「人は無意識に宿る価値観(プログラム)に操られている」など知ることになる。また、年少期、父の母への暴力、両親の喧嘩で兄妹で登校拒否児になったが、そんな出来事が複雑なプログラムを作ったのだと知った。

講義が進むにつれ、人間への、また自分への理解が深まり、いろいろな価値観(プログラム)を手放せたり、父を許すことができるようになった。現在もたくさんの価値観(プログラム)を理解しようと努力中だが、それらの経験によって他者への共感や受け入れが他の人より出来ることを知り、コーチ、カウンセラーやセラピストを目指し活動中。